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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)2887号 判決

控訴人 中沢政子

被控訴人 亡中沢徳造遺言執行者 中沢亀三

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「1 原判決を取り消す。2 (原審昭和五三年(ワ)第二八七号事件について)横浜家庭裁判所川崎支部が同庁昭和五二年(家)第一〇〇一号遺言書検認事件について同年九月二日検認した遺言者亡中沢徳造の自筆証書による遺言は無効であることを確認する。3 (原審昭和五三年(ワ)第二九七号事件について)被控訴人の請求をいずれも棄却する。4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次のとおり補正・附加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

一1  原判決三枚目表七行目に「他三名」とあるのを「ほか四名」と、同五枚目裏一行目に「自署されていた。」とあるのを「自書されていた。」とそれぞれ改め、同八枚目表三行目末尾に「(検甲第一ないし第四号証は亡徳造が生前用いていた認印による印影、同第五号証は同じく実印による印影である。)」と加え、同枚目裏二行目に「亡徳造の認め印の」とあるのを「被控訴人主張のとおりの」と改める。

2  原判決六枚目裏一行目冒頭から同三行目末尾までを「被控訴人の主張1の事実のうち、三葉の書面に番号が付され、封筒の封じ目には毛筆で〆の字が記載されていること、封筒の表面には「遺言状」の記載、裏面には「昭和五二年四月二日」及び亡徳造の住所氏名の各記載がいずれも毛筆によつてされていること、検認の際、三葉の書面が封筒に入れられ、該封筒が封をしてあり、裁判所において開披されたことは認めるが、右各記載が亡徳造の自書であることは不知、その余は否認する。」と改める。

二  控訴代理人の主張

1  本件遺言書を検分すると、以下の点を指摘することができる。

(一)  本件封筒の表、裏の記載は毛筆による達筆な楷書によつて書かれており、封じ目には毛筆により〆の字が記載されているが、表、裏、封じ目のいずれの箇所にも中味との一体性を示す押印、契印がない。

(二)  遺言状(1) 及び同(2) 前半部分は、極めて明るい鮮明な紫色のインクを用いて記載されており、同日同時刻に継続して書かれたものと認められる。

(三)  遺言状(2) 後半の亡徳造の住所氏名は暗いブルーブラツクのインクによつて書かれ、その書体は楷書と行書の中間であり、運筆に若干の震えが認められ、他の部分の筆跡と比べ著しく筆勢が劣る。名下の印影は亡徳造が生前用いていた実印、認印のいずれとも相違する。

(四)  遺言状(2) 後半の遺言部分は、右住所氏名の記載の後の、通常、余白と称される場所に、右住所氏名と同じインクによつて書かれている。そして、遺言状(3) との連絡、関係を示す何らの意思表示もなく、契印その他物理的に連繋を示す証跡もない。

(五)  遺言状(3) は、右と同じインクによつて書かれており、意思表示の記述がなく、同(1) 、同(2) とは独立したメモ書きの体裁をなしている。

(六)  遺言状三葉に付された番号(1) 、(2) 、(3) の記載は、右(二)ないし(五)の記載のいずれとも異なるインクによつてされており、これらのいずれかと同日同時刻にされたものとは認められず、かつ、「遺言状(2) 」の記載のうち「2」の筆跡は遺言状(3) 中に散見される「2」の筆跡とは運筆に一見して明らかな差異がある。

2  右に指摘した諸点に即して考究すれば、以下のとおり色々な推理が可能である。

(一)  毛筆によつて昭和五二年四月二日に書かれ、本件封筒に入れられていた別の真正な遺言書が存在することが合理的に推理される。この遺言書は、封印がなかつた故か、何者かによつて封筒から取り出され隠匿又は破棄された。右推理は、毛筆による本件封筒上の署名と遺言状(2) の氏名記載とを対比するとき、両者が同一人の手により同日同時刻に書かれたものとは到底考えられないことに照らしても、その正しさが肯認される。

(二)  遺言状(1) 及び同(2) 前半部分は、その内容に照らし、昭和五二年四月二日以外の日に、恐らくは夫婦喧嘩のあと、怒りにまかせて憤まんを叩きつけた日記風の戯れ書き、ないしはその場の思いつきの警告文(遺言状と題して叱責、警告を妻に与え、反省を求めようとした手紙に類する文章)であつたと思われる。

(三)  遺言状(2) 後半の住所氏名の記載は、その筆跡、書体を本件封筒上の署名と対比すると、封筒記載の日附の日に書かれたものではないか、何人かが亡徳造の筆跡を真似て記載した疑いが強く、名下の印影が亡徳造の用いた印によるものでないことからすれば、むしろ後者の推理が当たつていると思われる。

(四)  遺言状(2) 後半の遺言部分は、遺言という確定意思の表示ではなく、妻である控訴人に対し、「反省し、態度を改めないならば財産を全部弟(被控訴人)にやつてしまうぞ。」という威嚇ないし警告の表明を記したものと思われる。

(五)  遺言状(3) は、「3」の記載を除いて亡徳造の自筆によるメモであり、生前のいつか、遺産配分の一案として、又は受遺者中の誰かに示す必要から試案あるいは予定案として作成されたものと推定され、確定的、最終的な遺言意思の表明とは認めがたい。

(六)  三葉の遺言状について、あたかも接続を示すかのような数字(1) 、(2) 、(3) の記載は、後日他人の手によつて書き加えられたものと認められる(ただし、遺言状(1) 、同(2) の接続自体は肯定される。)。

3  前項の推論は、その全部又は一部が真実と異なるかもしれないが、真実に合致する可能性も強く、否定、肯定を一義的に断定することを得ない。そうすると、少なくとも遺言状三葉及び封筒が一体をなすものでないのではないかとの極めて合理的な疑いを残すものというべきであるから、本件遺言には日附が付されていることの証明がないことに帰する。

三  右二に対する被控訴代理人の認否

すべて争う。本件遺言状三葉(その接続を示す数字(1) 、(2) 、(3) の記載も含め)、封筒及び封じ目ともすべて亡徳造が自書したものである。

四  控訴代理人は当審における控訴人本人尋問の結果を、被控訴代理人は当審における被控訴人本人尋問の結果をそれぞれ援用した。

理由

一  亡徳造が昭和五二年六月六日死亡したこと、亡徳造の相続人が同人の妻である控訴人、兄弟姉妹である被控訴人ほか四名及び兄軍平の代襲相続人である七名であること、被控訴人が横浜家庭裁判所川崎支部に対し、本件遺言書(原判決別紙の遺言状(1) 、同(2) 、同(3) 、封筒のとおり)について亡徳造の遺言書として検認を申し立て、同裁判所同支部が同年九月二日これを検認したこと、被控訴人が同裁判所同支部において亡徳造の遺言執行者に選任されたこと、以上の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  控訴人は、本件遺言には、自筆証書遺言として、日附の記載を欠く方式違背があると主張するので、以下検討する。

1  遺言状と題する書面が三葉に分かれ、番号が付されていること、右書面が検認に際しては、封筒に入れられ該封筒に封をしたまま提出されたこと、その封筒の表面には「遺言状」の記載、裏面には「昭和五二年四月二日」及び亡徳造の住所氏名の各記載がいずれも毛筆によつてされており、封じ目には毛筆で〆の字が記載されていることは、当事者間に争いがない。

そして、甲第一号証(本件遺言書)の存在に、原審証人斉藤捷夫の証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果を総合すれば、前記三葉の書面は、同一紙質の便せんが用いられ、すべてインクで記載がされており、各葉の欄外に「遺言状(1) 」、「遺言状(2) 」、「遺言状(3) 」と表題及び番号が付されていること、遺言状(1) の本文冒頭から同(2) 前半部分にかけては、控訴人が日常生活において妻としての資格がないという趣旨の記載がされ、右(2) 前半部分の次に亡徳造の住所氏名が記載され、その名下に押印がされており、これに続く余白に「不動産の処分及び一切の権限は弟の中沢亀三に一任する」旨記載され(このことは当事者間に争いがない。)、遺言状(3) には、不動産処分法と題して原判決別紙の遺言状(3) のとおり記載されていること、右三葉の書面及び前記封筒の記載は、遺言状(2) 中の亡徳造の住所氏名の記載、各葉欄外の表題及び番号の記載、封じ目の〆の字を含め、すべて亡徳造が自書したものであり、右亡徳造名下の押印も亡徳造がしたものであること、亡徳造は、右封筒裏面の日附の日の直後である昭和五二年四月三、四日ころ、被控訴人方を訪れ、被控訴人不在のためその妻に本件遺言書、すなわち右封筒におさめた右三葉の書面を手渡し、被控訴人にその保管を託したが、その際、右封筒には、糊のようなもので封がされた封じ目に前記〆の字が記載されていたほか、表面及び裏面に前記のとおりの記載がされていたこと、被控訴人は、その後同年九月二日の検認手続まで右保管を託されたままの状態で、開封することなく本件遺言書を保管していたこと、以上のとおり認められる。原審及び当審における控訴人本人の供述は、以上の認定を左右するに十分でなく、また、右供述により亡徳造が生前用いていた認印による印影であると認められる検甲第一ないし第四号証、同じく実印による印影であると認められる同第五号証と前記甲第一号証とを対比すると、遺言状(2) の亡徳造名下の印影は、右検甲号各証の印影のいずれとも一致しないが、右本人の供述のみによつては、亡徳造が生前所持していた認印が右の四個に限られるものとはにわかに断定しがたいから、右不一致は、前記認定中、亡徳造名下の押印を亡徳造がしたとの認定の妨げとはならず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

2  以上認定の事実によれば、本件遺言状三葉及び封筒は亡徳造の遺言書としてすべて一体をなすものと認めるべきであり、右封筒上に亡徳造によつて「昭和五二年四月二日」と日附が自書されているのであるから、本件遺言には、自筆証書遺言の方式として要求される日附の自書があるものというべきである。

控訴人は、当審において、種々の推論を挙げて右認定、判断を争うが、その前提事実のうち、遺言状三葉に用いられているインクの点については、なるほど、甲第一号証によれば、遺言状(1) 及び同(2) 前半部分の記載に用いられているインクは、同(2) 後半の亡徳造の住所氏名及び遺言部分の記載に用いられているそれと異なつており、右後者のインクと遺言状(3) の記載に用いられているそれとの間にも相違があること、一方、遺言状(1) 及び同(2) 前半部分の記載に用いられているインクと各葉欄外の「遺言状(1) 」、「遺言状(2) 」、「遺言状(3) 」の記載及び遺言状(3) の記載に用いられているそれとは類似していることが認められる。このことは、本件遺言状三葉の各本文、欄外の表題及び番号の記載がすべて同一の日時にされたわけではない(ただし、遺言状(1) 及び同(2) 前半部分が同一日時に記載されたものであることは、その文意、書体に徴しても明白である。)ことをうかがわせるに十分であり、また、右の点のほか、筆記用具、筆勢、書体等を勘案すると、日附を含む本件封筒上の記載も、右三葉の各本文、欄外の記載のいずれか、若しくは全部と異なる日時にされた可能性があるというべきであるが、前認定のとおり亡徳造が、右三葉の書面を入れて封をし、「昭和五二年四月二日」と日附を自書した封筒を右日附の日の直後に被控訴人の妻に手渡している以上、仮に右のように各記載のされた日時が区々にわたるとしても、そのことは、右三葉の書面及び封筒の一体性を肯定し、右封筒裏面の日附の記載をもつて本件遺言に日附の自書があるものと判断する妨げとはならない。また、控訴人の当審における主張1(六)の点については、各葉欄外の表題及び番号の記載に用いられているインクは、控訴人の主張と異なり、遺言状(1) 及び同(2) 前半部分の記載並びに同(3) の記載に用いられているそれと類似していること前判示のとおりであるし、甲第一号証を検討しても、「遺言状(2) 」の記載のうちの「2」の筆跡が遺言状(3) 中に散見される「2」の筆跡と異なるものとはにわかに断定することができないから、右1(六)の点を前提として前記一体性を争う控訴人の主張も失当である。そして、前記主張2(四)が採用しがたいことは、当該部分の文言、体裁に徴し明らかであり、そのほか控訴人が当審において主張するところは、単なる推測の域を出ず、これを裏付ける具体的な証拠もなく、結局、右主張によつては、冒頭判示の認定、判断を左右することはできない。

よつて、本件遺言に日附の記載を欠く方式違背があるとする控訴人の主張は、採用することができない。

三  進んで、本件遺言の内容が不特定かつ不確定であるとの控訴人の主張について検討する。

遺言状(2) の亡徳造の住所氏名の記載及び押印に続く余白に「不動産の処分及び一切の権限は弟の中沢亀三に一任する」と記載されていること、遺言状(3) に、不動産処分法と題して、原判決別紙の遺言状(3) のとおりの記載があること、遺言状(2) と同(3) とは一体をなし、(2) 、(3) と番号を付されていることは右二に認定したとおりであり、遺言状(3) に記載された中沢ビル、中沢アパートの土地、建物が原判決別紙目録(一)ないし(三)記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第四号証の四、五、原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、中沢マンシヨンの土地、建物は同目録(四)、(五)記載のとおりであることが認められ、これに反する証拠はない。

以上によれば、本件遺言書では、亡徳造の遺言意思の表明として、亡徳造の遺産中、同目録(四)、(五)記載の中沢マンシヨンの土地、建物は控訴人に取得させ、同目録(一)ないし(三)記載の中沢ビル、中沢アパートの土地、建物はこれを処分し、右処分により得た金員から遺言状(3) 記載の各金額を、同記載の個人及び団体に分配し、かつ、葬式代等の経費にあてること、右処分及び分配等は被控訴人が一切の権限をもつてこれを行うべきことが定められていることが明らかであり、なお、遺言状(3) の記載を全体としてみれば、中沢ビル、中沢アパートの土地、建物がそこに記載された金三七八〇万円と異なる額で処分されたときは、同記載の各分配額の総額に対する割合に従つて、右処分額につき分配を行うべきものと定められていると解することができるから、本件遺言の内容が控訴人主張のように不特定かつ不確定であるとはいえないことが明らかである。

したがつて、控訴人の前記主張も失当である。

四  そうすると、本件遺言の無効確認を求める控訴人の請求は理由がない。

五  次に、以上説示したところによれば、被控訴人は遺言執行者として本件遺言に則り、原判決別紙目録(一)ないし(三)記載の土地、建物を管理、処分し、処分金の分配等を行う権限を有するものというべきである。

しかるに、控訴人が右土地、建物に対する被控訴人の管理処分権を否認してこれを争つていることは弁論の全趣旨から明らかであり、また、控訴人が同目録(二)、(三)記載の建物を管理していることは当事者間に争いがない。

よつて、被控訴人が同目録(一)ないし(三)記載の土地、建物について亡徳造の遺言執行者として管理処分権を有することの確認と、控訴人に対し、同目録(二)、(三)記載の建物に対する被控訴人の管理権に基づく管理を妨害する行為の停止を求める被控訴人の各請求はいずれも理由がある。

六  そうすると、控訴人の原審昭和五三年(ワ)第二八七号事件の請求は失当としてこれを棄却すべきであり、被控訴人の原審昭和五三年(ワ)第二九七号事件の各請求は正当としてこれを認容すべきところ、右と同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林信次 浦野雄幸 河本誠之)

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